キラキラになりたかった

主に織山尚大くんと少年忍者を愛でています。日常もかきます。

1階F列45番

はじめまして。

織山尚大くんと少年忍者にはまったオタクです。

ですが、今日は織山くんの話ではありません。

 

今日の主役は、わたしの元担である

元ジャニーズジュニア、

「村木亮太」くんです。

 

これは、私の村木君への思い出とお別れのブログです。

想いを綴ったので読んでもらえたら嬉しいです。

 

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先日、2021年芥川賞を受賞された「推し、燃ゆ」を手に取り読む機会があった。

友達がおすすめしていたし、ページ数も短いし、何よりカバーがピンクで可愛かった。

ただそんな理由で。

 

だがいざページを開いてみると、この本が私にとって、苦しくて苦しくて、苦しかった。

私を私でいさせる存在の推し。

推しが、ぎりぎりの私を私でいさせてくれる。

でも私を壊すのも、私をまた始めさせるのも推し。

 

私は本について詳しいことは何も知らないし、

この本の本質がどこにあるのかなんて分からないけれど、

私にはつらかった。

何度も本を開いたり閉じたりするくらいに。

 

そして私は思い出していた。元推しである「村木亮太くん」のことを。

 

もとより、1月26日は彼の誕生日であるから

この時期になると彼を思い出す頻度はぐっと増える。

だが、それだけが原因とは思えないくらい、私の中で彼の存在が膨れ上がっていた。

 

なぜ、私は彼のことをこんなにも思い出したのか。

 

分からなかった。

考えていた。

 

そうか。私にもあったからか。

かつて、彼によってぎりぎり保たれていた自分が。

 

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長らくオタクを卒業していた。

現場に通ったのは、10年以上になるオタク人生の中でたった2年ほどである。

 

当時私は、進路のことで思い切った決断をした。

専門的な学校に入っていたので、

その道を外れることで友人とも疎遠になった。

決断をしたのは私なのに現実逃避も現実逃避、

夜な夜なパソコンで動画をあさる日々が始まった。

 

そんなときに出会った彼は

JJL(ジャニーズジュニアランド)でパジャマ姿をして「社長」と呼ばれていた。

カメラにアピールをするでもなく、積極的に声を発するわけでもない。

のちにジャニーさんから「凡人の天才」と称される彼は

アイドルとしてはちょっぴり・・いや、かなり異彩な雰囲気を放っていた。

でも、彼はいつもニコニコしていた。そんな姿に興味を持った。

そして気が付いたら、彼から目が離せなくなっていた。

 

興味を持って見てみると、彼のダンスも非常に興味深かった。

多分、というか絶対に得意ではなかった。

バラエティ同様、積極的にカメラアピールするわけでもないし、

ほとんどの曲を後列の端で踊っていた。

でも、いつもとにかく一生懸命だった。

長い手足を使って大きく踊る彼のダンスは、一目見ればすぐに分かった。

ますます彼のことが好きになった。

 

心に余裕のない自分にとって

村木くんの存在が癒しであり、元気の源になった。

村木くんに会うために生きていた。

 

そんなときに、ジャニーズの大舞台が始まった。

「ジャニーズワールド」である。(トニトニ)

 

初めて訪れた13月を探す旅、

豪華で、キラキラしていて、右に左に視線が定まらない。

13月なんて知らないけどまあいいやと思うような、そんな舞台だった。

 

舞台では、ジャニーズジュニアが時折通路に現れた。

ノイナ、だったと思う。彼も、通路隊の中にいた。

ドキドキしながら場所を確認する。

 

1階F列45番 横通路

 

広い帝国劇場の中で、その瞬間から何年も何年も私のセンターとなっている場所である。

 

彼はそこにいた。確か、赤い衣装と白い手袋。

だらだらと汗をかきながら立ち止まって踊る彼は、決して愛想がよくない。

見方によっては、淡々とこなしている、とも言えた。

 

でも私は、「あぁ、これこそが村木くんだ。美しい。」と思った。

なんだか妙に通路横で踊る彼の姿が目に焼き付いて、その姿を見るたびに、村木くんの存在を実感した。勇気がわいた。

 

そしてなぜかその時はじめて、親に進路の話をしようと決めた。

彼の美しさを無駄にしたくないと思った。

私も美しくありたいという気持ちだった。

 

こんな決意をしたところで、

そこから私の人生が変わったわけでもない。

 

悩んで、覚悟を決めて伝えた進路も

親はあっさりと認めてくれ

私は私の決めた進路にそのまま進んだし、

 

道は外れたが、まぁそれなりに息はしているしきっと生きているんだと思う。

 

その後、何度か現場にも行ったが

時間的問題で次第に足が遠のいた。

 

そして、いつか会いに行こうと思っているうちに

彼はジャニーズジュニアを辞めた。

 

それから数年経ち

推しは変わったが、彼が私の支えであったことに変わりはない。

きっと私は彼を応援し続ける。

 

でも、もう、きっと、彼に二度と会えない。

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前楽は1月26日。

そう、村木くんの誕生日です。

 

それもあって、村木くんで思い出すのはトニトニです。

あれから7年も経ってるんだなぁ。

 

最近になって、

ジャニーズマンションは1階のセンターが強いと知りました。

そうか。村木くんはあのころ端っこの端っこだったのか。

 

そんなことを知っても、

本当に毎日村木くんのおかげで楽しかったという気持ち。

村木くんのいたところこそがセンター。

 

あれから帝劇には一度も訪れていません。

 

次に開催されるときには、

少年忍者のみんなに記憶を塗り替えてほしいなぁ。なんて思っています。

 

お誕生日おめでとう。

きっと来年も思い出します。その時までさようなら。